私が開院した理由

今から15年前、私はある精密機器メーカーの新入社員として、社会に出ました。
 入った会社は競争率100倍の一部上場企業。
社員の平均給与も1000万円を超える人気企業でした。

これだけ書くと、順風満帆な社会人生活のスタートに聞こえるかもしれませんが、
実は私にとっては「消極的な選択の結果」の社会人生活のスタートだったのです。
 
私は子供の頃からスポーツが好きで、将来は
スポーツジャーナリストになりたいという夢がありました。
 
そのために大学も新聞学科に入り、大学生活の大半を新聞社
でのアルバイトに捧げてきました。
 
その甲斐あって、就職活動を開始する頃には、自分が望みさえすれば
そこに入社出来る状態になっていたにも関わらず、その道を自ら閉ざしてしまったのです。
 
「たしかに楽しい仕事だけど、昼も夜も無い生活で、身体を壊してしまうのでは無いだろうか?」
 
マスコミの仕事の楽しさは体感しつつも、なまじ現場を見てしまったことで
出てきた当時の私の率直な気持ちでした。

そんな消極的な理由で就職活動開始と共に急遽方針を転換し、
先述の会社に入社することに決めたのです。
夢を自ら投げ出した当時の自分が重要視した価値観は

「知名度の高い会社か?」
「上場してる会社か?」
「給与はいくらか?」

という、いわゆる世間体と呼ばれるものばかりで、
「どんな仕事で、それを通してどう世の中に貢献するか?」と言った、
大志のようなものは、完全に置き去りにされていました。
 
言うまでも無く、そんな甘い心構えで通用するほど世の中は甘いものじゃありません。
どうしても自分にとって興味が持てない分野の仕事に、入社早々苦しむことになるのです。
 
給与が高い会社だけあって、それだけ仕事もハードです。
興味を持てないストレスも重なって、ついには身体を壊してしまい、
入院、手術をする羽目になりました。

「身体を壊すのがイヤでマスコミの道を蹴ったのに、
結局身体を壊して…。何やってるんだろう、オレ…」

ベッドに横になり、病院の天井を眺めながら、
本当に情けなく悲しい気分になりました。
 
それと同時に「このままじゃダメだ!自分が全身全霊を傾けることが出来て、
世の中の役に立つような仕事をもう一度本気で探し直そう」
という思いが頭をもたげてきました。

そこで行き着いたのが、健康に関する仕事に就こうという考えです。
もちろん健康を害してそのありがたみが骨身に染みていたいた時期だったのも
理由の一つではありますが、ここでもジャーナリストの時と同様、
最大のきっかけはスポーツでした。

見ることだけでなく、やることも好きだったので、
小さいとはいえケガもたくさんしました。
その時にお世話になった病院や接骨院の先生のお仕事に、
何と無く憧れを抱いていたのを思い出したのです。
 
とはいえ、今から医学部に行き直すのは、
どう考えても現実的ではありません。
そこで色々と調べるうちに行き着いたのがカイロプラクティックという仕事でした。

・日本では民間資格ながら発祥の国アメリカでは大学教育まで確立された、
しっかりとした理論の下に確立された療法であること。
・WHOからも正式に認められた療法であること
・競争が激しいアメリカの医療業界の中で、100年以上も支持され続けていること。

調べれば調べるほど興味は増す一方でした。
 
「よし!自分はカイロプラクティックという仕事に全身全霊を傾けよう」
 
そう決意した私は会社を辞め、カイロプラクティック業界に飛び込んだのです。
 当初は本場で勉強したいとの思いからアメリカに留学したいと考えていましたが、
経済的にそこまでの余裕はなく断念しました。
 
そこで、アメリカで資格を取った先生から直接指導を受けようと考え、
そういう先生が少人数で教えている学校を探し、
大川カイロプラクティック専門学院に入学したのです。
 
入ってからは勉強と練習に必死になって明け暮れる毎日を過ごしました。
 
毎回小テストのある授業に必死に食らいつき、
夜は学校の鍵が閉められる時間まで練習しました。

また卒業したら自分の治療院を持ちたいと考えてたいましたので、
入学とほぼ同時にインターンに入り、現場での臨床経験を積ませて頂きました。
 
生活費を稼ぐ為にアルバイトもしていたので、授業・インターン・アルバイトと、
“3足のワラジ”を履いていたこの時期、休日を取った記憶なんて殆どありませんでした。
 
それでも大変だなんて思ったことは1度もありません。
自分が全身全霊を傾けられる仕事を見つけた喜びが勝っていたからです。
この時期は忙しいながらも充実した日々を送っていました。

もちろん手技も未熟でしたから、辛い思いもたくさん経験しました。
なかなか患者さんを改善させることが出来なかったり、
思うように技術が習得出来なかったりして、家に帰ってから
悔し涙を流したことも一度や二度ではありません。
 
今となれば一人前の治療家となるために、必要な経験だったなと思います。

そして2008年4月。
 
ご縁があって、ここ学芸大学の地でアルテカイロプラクティックを開業しました。
 
おかげさまで開院当初から本当に多くの患者さんに支えて頂き、
今日も肩こりや腰痛に悩む多くの方の施術をさせていただいています。
もちろん人様のお身体を預かる仕事ですから、毎日が緊張の連続ですし、
今でも壁に当たって悩むこともあります。
 
でもだからこそ、慢心をせずに日々技術の研鑽に励むことが出来るのだと思います。

この仕事は死ぬまで一生修行が続きます。
 
開業当初の高ぶる思いを常に胸に秘めながら、これからも学芸大学近辺の
皆さんに最高の施術が出来るように、精進して行きたいと思います。

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